#22 撮影日誌⑥
2013年6月27日
6月7日~11日。
阿部(堤下)が竹内(板倉)から離れたため、ひとりになった竹内の単独シーンを撮る。
新しく竹内に付く茶髪のADは竹内友哉さんが演じてくれた。竹内さんは、他のテレビ番組と掛け持ちだったため、黒髪→茶髪→黒髪→茶髪と計2回も髪を染め直しての出演。森の中で、ネット集団自殺のテントを発見する場面や、とり残された少年翔太の救出などを撮影。樹海の中には、こうしたテントが何張かあり、ななり長く生活した痕跡もあった。
6月11日。再び森の中での撮影。今日は樹海の中にあるお地蔵さんを供養する老婆の役で藤田弓子さん出演場面。
女優 藤田弓子の演技は「泥の河」(小栗康平監督1981年)の母親役が未だ脳裏に焼き付いている。「泥の河」は、河っぷちの食堂に住む少年と対岸に繋がれた<廓舟>の姉弟の出会いと別れを描いたものだが、食堂を営む藤田弓子が、姉と一緒に風呂に入るシーンは、モノクロームの映像とともに藤田弓子の豊満な肉体が鳥肌が立つほど美しい。邦画の傑作の一本として永遠に記憶される映画だと思う。
その藤田さんとは若き日、民放の情報番組でディレクターとして御一緒した事がある。中年太りされていた藤田さんが伊豆の断食道場で、7日間の断食をしダィエットに挑む、というものだった。
藤田さんひとりでは酷なので、一般公募した7人のデブが励ましあいながら断食し、見事減量作戦に成功。帰りのバスの中でビールで乾杯!「太ったらまた断食すればいいのだから・・」といった内容のものだった。その番組がきっかけで知遇を得て、その後、弊社の番組にもレポーターとして出演していただいた事がある。
藤田さんに台本を送り出演を依頼すると、数日後、樹海でロケハン中の私の携帯が鳴った。本人からだった。「脚本面白わよ」出演快諾の電話だった。
藤田弓子は、樹海内に設置されてある地蔵を供養する農婦の役。
6月29日(土)、エフエム世田谷の生放送「土曜はおでかけ」に、私が生出演します。11時45分~12時あたり。ペアチケット2組プレゼントを用意しています。
カズンが歌う「IBUKI」を流す予定。周波数は83、4MHz。世田谷地区しか視聴出来ません。
#21 撮影日誌⑤
2013年6月24日
6月3日~6月7日。
森の中の第二次ロケを終わり、本日より都内撮影。
竹内哲(板倉)の自宅・画廊などの撮影。
竹内は5人家族。妻・純子 遠藤久美子 自閉症の長男 武井 証 長女 小島一華 二男 石田竜輝。子役はすべてオーディションで選出した子供たち。
家庭内の撮影は、子供たちが学校行く前の朝食シーンから撮り始めた。台本に日常的なセリフは書いていないので、設定を説明し、セリフを口頭で伝えテストなしで撮り進めた。ドキュメンタリーの手法である。
家庭内の撮影は、ほとんど手持ちカメラ。山崎が最も得意とする所。撮影には必ず「待ち時間」があるが、遠藤久美子がゲームをして子供たちとの距離を詰めてくれた。
「樹海のふたり」には自閉症児が登場するが、アスペルガー症候群の人の中には、限定された分野に興味・関心が集中し、優れた能力を発揮する人がいる。放浪の画家山下 清、ゴッホやアインシュタインもアスペルガー症候群ではないか、と言われている。
私が最初に自閉症児の絵画に触れたのは「風の散歩 小さな芸術家」(コーレ社刊・1999年)である。その画集には、比較的低年齢の自閉症児の作品が網羅され、研究本にもなっている。シャンプーのボトルに執着する男の子、消火器に固執する子、ロボット、電車、送電線ばかり描く子。その中でも、目を奪われたのは上田 豊治さんの切り絵。郷里・萩市の伝統行事を描いたものだが、その緻密さと力強さは驚いた。
社会生活は苦手だが、とてつもない秘められた能力を持つ自閉症児・・・そんな子供たちが描く絵に魅せられ機会があれば個展などに足を運ぶようになった。最近では福岡在住の自閉症児の画家 太田宏介さんの絵が素晴らしかった。今年5月末から銀座で初個展が開かれたが、色彩の鮮やかさ、パワフルな構図、そして題材の豊富さ・・・圧倒的な宇宙観、釘づけになった。
今回、光一は7点の絵を描く設定であるが、どこに展示してロケをするか、いくつかの画廊候補が上がっていたがまだ決めていなかった。都内をロケハンの時、偶然発見したのが「ギャラリーf分の1」という画廊だった。弊社の会社名が「えふぶんの壱」であるので、看板を見つけた時に驚いた。吸い込まれるように中に入って話をすると、このギャラリーでも自閉症の絵画展示をやった事があり、オーナーの館野道子さんが理解を示され、この画廊をロケ場所とした。
絵画については、秘話を含め「映画公開後」詳しく書く予定です。
#20 撮影日誌④
2013年6月21日
5月27日~5月30日。
森の中での第一次ロケが撮影が終わり、今日から再び森の中での第二次撮影が始まる。
今回は、特にナイトシーンなどがあり、体力の消耗度はピークに達する。今回美術を担当したのは進行・高木重因、装飾・青祐一・持道具・柳沢大介。重たい装飾品など何往復もし夜の森に搬入しなければならない。
深夜の撮影は危険だ。本物の霧が発生するため、森の中に数十個の懐中電灯を並べ、スタッフが迷子にならないように道しるべを作る。
今回、撮影に協力していただいた「NPO法人 フイルムコミッション富士」の勝山夫妻が、森の中までカレーライスや豚汁などののデリバリーをしてくれる。
疲れは食欲に如実に表われる。カレーを半分残しているスタッフもいる。しかし、最年長のカメラマン山崎は相変わらずの食欲旺盛、安心する。
撮影も半ばになり、さまざまな不安要素が襲ってくる。
今まで撮り終えたものが、果たして良いのか悪いのか・・・・。
フランス・ヌーベルバーグ(新しい波)の旗手、フランソファ・トリュフォー監督は、その著書『トリュフオーの映画術』やインタビューで、「映画の撮影に入る前は、自分は今、傑作を作ろうとしている。おそらくこの作品は映画史に燦然と輝くであろう、と自信に溢れているが、撮影中番になると、私は、なんという駄作を作っているんだろう・・・途中でこの映画製作を止める勇気があれば、恥をかかずに済むのに・・」と映画監督の不安を語っている。
「大人は判ってくれない」(1959年)「突然炎のごとく」(1961年)など、繊細で瑞々しい映像を提供してきた実力派監督でも、撮影中番になると不安が襲ってくるのだ。トリュフォーは、のちに映画監督を主人公にした映画「アメリカの夜」(原題・疑似夜景・1973年)で、撮影の進行を軸に監督の苦悩と様々な人間模様を描き、カンヌ映画祭で評価を得た。
今回「樹海のふたり」の演出部は監督を含め4名。
チーフ助監督は近藤有希。数々のオフシァター系の映画をこなして来た筋金入りの映画人。カメラの山崎裕の紹介でスタッフ参加。
チーフは主に撮影スケジュールを組むのが、最も重要な仕事。役者のスケジュールの把握、現場の制約・・・様々な条件を考慮し、最も適切と思えるスケジュールを「切れる」かが、その力量を問われる大変なパート。
チーフはトライアスロンに挑戦するほどの体力の持ち主で、温和で素朴な人柄。そして、緻密に熟考された撮影スケジュールの提出。彼の奥深い洞察力と人間力で現場は支えられた。
セカンドは岡村 拓。映画の現場は初体験だが、この映画の立ち上がりから仕上げまで、一番長く関わった青年。
サードは、沖縄出身の大城義弘。サードは常に現場にいて、カチンコを叩き、小道具・持ち道具の担当。無口だが、粘り強く仕事をこなしてくれた。
この3名はともに日本映画学校の出身。この3名に励まされ、助けられ、過酷な現場を乗り切る事が出来た。
#19 撮影日誌③
2013年6月17日
5月22日。
午前中、森の中での撮影。ふたりが霧の中を進むシーン。
普通、霧は発煙筒などを焚いて作るが、森の撮影許可条件に「火器厳禁」とあるため「ロスコ」という霧発生装置を6台用意する。美術部・制作部・演出部総動員で森の中を駆けずりまわる。風向きがころころ変わるので、その度にスタッフが風上へ移動しなければならない。重労働である。
午後、山梨県側へ移動。モデルとなったSディレクターたちが、実際に利用していた宿泊所「富士健康センター」を借用しての撮影。
「富士健康センター」は河口湖のほとりにあり、浴場・宴会施設などもある巨大な宿泊施設。当時、24時間営業していた事もあり、また料金も安くふたりの定宿となっていた。
ところがロケハン中、この「健康センター」は「水製造工場」に変わるという情報が飛び込んで来た。その為、大規模な工事を行うという。慌ててスタッフが現地へ飛び、経営者に交渉。工事を一時中断、フロントなどの一部を撮影のため保存したいただいた。ご理解・協力をいただいた社長に深く感謝したい。
シナリオ#16 健康ランド・受付
宿泊手続きをしているふたり。フロントに新人の谷川由梨と、年齢不詳の小森茂子が受け付をしている。
茂子は地味な髪形だが、独特の色香を放っている。スタンプカードを用意する茂子。
その時、胸の谷間が一瞬見えドキリとする阿部。その視線を十分意識している茂子。
この阿部と茂子の出会いのシーンを7カットで撮影する。大切なのはふたりの会話や動作が噛み合わずギクシャクした感じを出し、未来を予感させておく必要がある。烏丸せつこがうまく<間>を刻んでくれた。
この茂子という謎めいた女の存在は、シナリオ第一稿ではなかったが、プロデューサーの意向もあり、第二稿で謎の女・小森茂子を登場させた。
従って茂子は私の全くの創作である。Sディレクターにシナリオを送り感想を求めると「この情報はどこから仕入れたのですか?T氏が告白したのですか?」と聞いてきた。S氏によると、かってこの宿泊所に美人で艶っぽい女性が働いていて、相棒のT氏が入れ込んでいたとの事。T氏は「過酷な樹海取材に耐えられたのは、彼女の存在があったから・・」と呟いていたそうだ。
事実はやはり面白い。
#18 撮影日誌②
2013年6月10日
5月21日(月)。
今日から4泊5日の行程で、かなりの量の場面をこなさなければならない。クランクインからアップまで約1ケ月間あるが、インパルスのレギュラー番組の合間を縫うので、実質の撮影日数は17日間である。
東名高速・御殿場ICから富士山麓へ入る。ラジオから、もうすぐ「金環日食が始まるので、運転に注意」という情報。
午前中は、竹内と阿部のふたりがバス停で「張り込み」をするシーン。大型のファンを回し、雨を降らす。午後、バス停の場所を変え、ふたりが始めて「自殺志願者」を発見し、樹海内に突入していく場面。
2004年当時、ドキュメンタリーロケで実際に使っていたソニーの小型カメラをふたりに持たせ、彼らが撮った映像も映画の中に挿入する事を伝える。
つまり、撮影しているフリをするのではなく、実際に撮影させる、という方法。
自殺志願者の中年男に湯沢勉を配役。湯沢氏は師匠・黒木和雄監督の名作「祭りの準備」(ATG 1975年)に、障害を持つ仕立て屋役で出演している。その頼りない弱弱しい姿がとても印象的だった。しかし、何せ30年以上前の映画であり、その俳優の名前が思い出せない。今でも俳優をやられているかさえ判らない。根気よくタレント名鑑をめくっていくと見覚えのある写真が載っていた。すぐにキャスティングの藍澤プロデューサーにコンタクトをとってもらった。
湯沢勉とは衣装合わせでお会いした。「よく私の事を思い出してくれました。気味が悪いほど嬉しいです」と。湯沢氏はロケ現場においても様々なアイディアを持ちこんで下さったが、時間との闘い・・・私が消化出来ずに申し訳ないことをした、と思っている。