#10 撮影監督・山崎裕の事

2013年5月7日

今回からスタッフに関する事を書いていく。

「樹海のふたり」のカメラマンは山崎裕。

山崎とは、ドキュメンタリージャパン(以下、DJと表記)時代、3本のドキュメンタリー番組と、テレビドラマ「女のサスペンス 死の郵便配達」で一緒に仕事をした間柄である。

山崎は、私より11歳年上であるが、「モンスター」と呼んだ男である。 何を以てモンスターなのか?その旺盛な食欲?無類の女好き?どこでもすぐ寝れる?・・・どの項目をとっても私には敵わない。

彼の自然治癒力に驚愕した事がある。フランス・パリでロケ中、山崎はムール貝と生牡蠣を食べ過ぎて、食中毒に罹った。夜中激しい嘔吐と下痢に襲われ苦しんでいたため、翌日を撮影休止とした。が、翌朝ケロリとした顔で彼は起きて来た。私だったら間違いなく入院騒ぎとなる。その驚くべき蘇生力を以て「モンスター」の称号を与えた。

 

山崎裕は1940年生まれの73歳だが、肉体年齢は40歳台。

山崎裕は1940年生まれの73歳だが、肉体年齢は40歳台。

最初に山崎と組んだのは、「ネイチャーリングスペシャル サハラ幻想行」(1987年5月放送・テレビ朝日)だった。

 女優の桃井かおりが、サハラ砂漠を40日間かけて縦断するという大型番組だった。ロケの大半が砂漠でのキャンプ生活という過酷なもので途中倒れたスタッフもいた。桃井さんは世間で云われている「わがまま女優」(失礼)の片鱗はなく、実に甲斐がいしく、キャンプの飯炊きや皿洗いなど率先してやってくれた。山崎のカメラは、桃井かおりの素顔を撮ろうと必死に迫った。

私は初めて組むカメラマンの腕がどんなレベルにあるか、撮影中の「立ち姿」で決める。うまいカメラマンが適切なアングル、ポジションに入った時、惚れ惚れするほど美しい形となる。料理の板前も、左官も、ゴルファーもそうだ。

上手い人はその形にエロティクサさえ滲みだす。山崎の立ち姿は、砂漠に映え美しかった。山崎は、耽美的な映像も撮れるし、匂いたつようなリアリティも撮れるという両刀使いのカメラマン。「光と影」を熟知しているし、手持ちの映像は天才的である。

私と山崎の、DJでの最後の仕事は「岡田嘉子の今 サハリン国境線をゆく」だった(1990年 日本テレビ プロデューサー/橋本佳子 出演/斎藤 憐)。昭和の始め、恋人とサハリン国境を越えソビエトに亡命した、映画女優の奔放な恋愛遍歴と、苛烈な半生を描くもの。零下20度のサハリンで再現シーンを撮影、モスクワで岡田嘉子のロングインタビューを試みた。

この番組完成させたのち、私はDJと袂を分かち制作会社「えふぶんの壱」を設立。山崎とはしばらく離れる事となった。

 山崎はその後、ドキュメンタリーに留まらず、劇映画にも活躍の場を広げていった。是枝裕和監督とのコンビで「ワンダフルライフ」(1999年)「DISTANCE」(2001年)「誰も知らない」(2004年)など、ドキュメンタリーとドラマの境界線がどこか判らないような、独特の映像を世に送り出して来た。また「カナリア」(2004年 塩田明彦監督)「俺たちに明日はないッス」(2008年 タナダユキ監督)など若手監督とも精力的に仕事をしていった。

 

森の中に大型クレーンを持ち込み撮影。設置と動きのテストに半日かかった。

森の中に大型クレーンを持ち込み撮影。設置と動きのテストに半日かかった。

私とのコンビは、22年ぶりであるが「樹海のふたり」のカメラを山崎裕に託した。撮影助手は松浦祥子と松村敏行が務めた。 標高1200メートルを超える森の中での撮影は、刻々と変わる天気との闘いで困難を極めたが、山崎は相変わらずモンスターだった。

クレーンに乗った山崎は、遊園地でジェットコースターに乗った時のように楽しそうだった。

クレーンに乗った山崎は、遊園地でジェットコースターに乗った時のように楽しそうだった。

 次回は、映画音楽に初挑戦した関口知宏との事です。

 

 

 

 

 

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