#24 撮影日誌⑦クランクアップ

2013年7月2日

6月12日。

今日でクランクアップ

午前中、阿部(堤下)の自宅、阿部印刷所の撮影。

父親・勇役に中村敦夫。勇は「レビー小体型認知症」という病気。見た目には普通だが、実在しない人や物が見える幻視の症状が表れる、という設定。

この配役をどうするか検討している時、相川弘隆プロデューサーから中村敦夫氏の名前が出た。中村敦夫はテレビ時代劇「木枯らし紋次郎」で一躍人気を獲得した二枚目俳優。高度成長が終わり、全共闘が敗北、人々が未来に不安を抱く1972年「あっしには関わりねぇことで」という名ゼリフを吐く渡世人を演じた。他人との関わりを避け己の腕一本で生きる男のニヒリズムに私も共感したひとりだ。

その後、中村敦夫はテレビ情報番組「地球発22時」(1984年)のキャスターとして活躍。私もディレクターとして一本だけ、日本の家元制度を考察する番組を演出した。その後、日本テレビで「中村敦夫のサンデー」(1889~92)のMCを務め、この番組のディレクターだった相川Pが、今も中村敦夫氏と親しい付き合いがあるという事で、出演交渉をしてくれた。

s-0612-阿部と父2-_MG_2770役柄が認知症なので、引き受けてもらえるか心配したが、心よく承諾してもらった。

敦夫氏は、役を引き受けたその日から無精ひげをはやしたそうだ。足の爪を切るシーンがあるので、「爪を切らずいたよ」と現場に来られた。短いシーンだが、役になりきる、とはこういう事なのだ。

近所の印刷屋の親父に三田村周三を配役。

三田村氏は、私が敬愛する嘉多山和美社長が主宰する「バウスプリット」所属のベテラン俳優。嘉多山社長に依頼し三田村周三を引き当てた。

衣装合わせの日、三田村さんと初めてお会いした。その時、三田村さんはすでに印刷屋の親父の恰好だったので、衣装合わせを終えて私の前に現れた、と思ったら、自前の衣装だという。このままの衣装で行きましょう・・という事になった。中村敦夫といい、三田村周三といい、名バィブレーヤーに囲まれて幸せな監督だと思った。s-0612-桐島4-_MG_2619

午後、制作会社役員室の撮影。

制作会社の社長に長谷川初範、辣腕プロデューサーに元ずうとるびの新井康弘

長谷川氏は、私の共通の友人の葬式で御一緒した事がある。長谷川氏は、私がプロデュースしたNHKの番組「コメ食う人々」で東南アジアにレポーターの役で出演していただいたばかりであり、共に友人の死に涙した。

それから一年後、制作会社社長役をキャスティング中、あの葬式の日の長谷川初範の顔が浮かんだ。

その長谷川氏は、赤坂の劇場で「シェークスピア劇」にロングラン出演中だった。陣中見舞いを兼ね、楽屋を訪ね行き出演交渉となった。従ってロケはシェークスピア劇の合間を縫って行った。

新井康弘は、私が22年前に監督した「死の郵便配達」の郵便配達人役として出演していただいた。微妙なセリフの言い回しをアプリオリに持つ俳優だった。また機会があればと思っていた新井氏には、自筆のラブレターを送り口説いた。s-0612-竹内、金井P、北澤社長-_MG_2958

この日のロケ中で、中村敦夫、三田村周三、長谷川初範、新井康弘という個性的で日本映画に欠かせない俳優陣と向き合う一日となった。

夜、再び都心に戻りスタジオ場面の撮影。ナレーター役に本物のナレーター槇大輔本人に来てもらった。

番組のスタジオ作業、ナレーション収録場面。アナブースでナレーションを読む槇大輔。

番組のスタジオ作業、ナレーション収録場面。アナブースでナレーションを読む槇大輔。

s-0612-クランクアップ記念撮影-_MG_3181

2012年、6月20日。午後9時30分、クランクアップ

愛用の帽子と撮影台本。

愛用の帽子と撮影台本。

深夜、柏井エグゼクタィブプロデューサーと二人で、脚本家の桃井彰氏がオーナーの「コレド」という店で祝杯をあげた。クランクインイン前にここで討ち入りをした事もあり、締めくくりに必然的にこの店に行った。柏井EPと事故もなくロケが終了した事を感謝した。ビールで喉を潤すと、それ以上のアルコールを受け付けないほどの疲れが襲って来て、這うようにタクシーに乗り込んだ。

この映画に関係していただいた全てのスタッフ・キャスト・関係者に、この紙面を借り、心から感謝の意を申し上げます。

今週土曜日、7月6日から「ユーロスペース」でロードショウが始まる。

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