#17 撮影日誌① クランクイン 

2013年5月31日

このブログもようやくクランクインに辿りついた。

2012年5月20日(日)。クランクインの日が来た。

数日前から弊社に「祝クランクイン」というビールや、御花の届ものをいただいたので、本当にこれから撮影が始まるというテンションはすでに上がっていた。

今日は1日オープンでの撮影。天気は文句なしの快晴。予定は、ディレクターの竹内哲(板倉俊之)と阿部 弘(堤下 敦)が、初めて樹海に向かうシーン①から⑥までを、台本の順番通りに撮影する予定。

午前6時。新宿西口スバルビル前にロケ隊集合。みんな眠そうであるが、緊張の表情が読み取れる。

まず、中央高速でふたりの乗った車の客観撮影、その後、カメラを車中に入れて数カット撮るため、どこのSAで乗り移るかなどを撮影部・演出部・制作部の確認打ち合わせを終え、ロケ車をスタートさせた。

 

竹内(板倉)と阿部(堤下)が樹海に向かうシーン。 車の走りをトラックの荷台から望遠レンズで狙う。車とのやり取りを無線で指示する監督。

竹内(板倉)と阿部(堤下)が樹海に向かうシーン。
車の走りをトラックの荷台から望遠レンズで狙う。車とのやり取りを無線で指示する監督。

板倉、堤下とも映画初主演。打ち合わせの時「僕たち満足に演技は出来ないと思います・・」と不安がっていたので「自然体でやって下さい」ともう一度念を押した。 車中のふたりのシーンは、緊張もなくごく自然体だった。撮影しながら河口湖ICで高速を降り、そのまま次のロケ地「河口 浅間神社」へ向かう。

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河口湖のほとりにある「河口浅間神社」は、富士山の守り本尊。1200年前に起きた大噴火の鎮静と「樹海」で亡くなった人々を祀る神社である。最近、富士山が世界文化遺産に指定されたが、ここ「河口浅間神社」もそのひとつに入っている。境内には樹齢数百年という7本の巨木が立ち、パワ-スポットとして注目を集めている。

 ここで撮影前、スタッフ全員が集合し、安全祈願のお祓いを受けた。

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主人公ふたりが「樹海」に入る前にお祓いをする場面は、私の妻と長男に「願掛けの親子」としてエキストラ出演を頼んだ。この浅間神社をロケハンした時、複数の「願かけ」をする人々を見かけたからだ。

思春期の長男は出演を渋っていたが、インパルスのサインとロケ弁で釣った。

s-P1050564

 

初日は、陽が暮れる前に終了。明日から4泊5日のロケが始まる。

#16 脚本作業 樹海体験③

2013年5月28日

今回で、脚本作業に関する記述の最後。

自殺を決意した人が、なぜ、最期の場所として「樹海」を選択するのだろか?ずっと疑問だった。 「樹海」はそれほど人を引き込む魔力を持っているのか?

「樹海」に行くためには、電車とバスを乗り継がなければならない。またバス停に降り立ったとしても、どこから樹海に入ればいいか戸惑うはずである。 フリーディレクターのS氏によると、樹海に来る「自殺志願者」は、東京近郊の人ばかりではなく、東北・関西・九州などから来た人もいたと言う。

何故、そんなに遠くから日数をかけてアクセスが不便な「樹海」にまで来るのか・・・?

官庁の統計によると、自殺の方法は、自宅での首吊り、飛び込み、ガス、など生活圏での実行が圧倒的に多い。また、樹海でなくてもそれに準ずる深い森はいくらでもある。 では、なぜ「樹海」なのか

S氏によると、ひとつは「行方不明」となってこの世から身を消したい人ではないか、と云う。

樹海内は湿度が高く白骨化が早い。身分の判るものを全て処分してしまえば、半年後には、身元不明の無縁仏となる。 自宅で首を吊れば、自殺した事が周知の事実となり、葬式やお墓の問題など、残された人たちは大変な思いをする。しかし、行方不明になれば(実際は樹海で命を絶ったとしても)、世間的にはあの人はきっとどこかの空の下で生きているに違いない・・と思われる。

また、樹海のバス停に降り立ったとしても、すぐに森に入って行く人はほとんどいない、と云う。何日間も下見をした後、思い止まったのか、帰っていく人も多いらしい。つまり、樹海に来る人は、迷っている人たちである。電車やバスを乗り継ぐ間、決断するための<長い思索の時>を求めているのである。

今回の映画では、「行方不明」を目的に樹海に入った男・八木さん役をきたろうに託した(このエピソードは#9 怪優 きたろうの回で触れた)。八木さんのキャラクターなどは創作だが、S氏たちはこれに近い体験をしたという。命綱にしていたロープの結び目がほどけていることに気が付かず、かなり奥へ入ってしまい方向性を失った。半日間ほど森を彷徨っている時、自殺志願者と遭遇し、その男の案内で、樹海の脱出に成功したという。

s-0529-霧の中を進む2人-_MG_0352

 

よく樹海では「磁石が狂う」という説がある。我々もいくつかの場所で実験したが、見た目にコンパスが極端に違う方向を示す事はなかったが、場所によってはわずかだが狂う場所もあった。今も溶岩石には多量の鉄やチタンなど磁性鉱物が含まれ、その層が厚い所では、コンパスに影響を及ぼすことが判明した。

また、GPSも(現在はかなり改善されているが)2004年当時、木々が電波を遮断するのか、樹海の中では受信不能のマークが点滅していた。もちろん、今でも携帯電話もつながらない所の方が圧倒的に多い。

樹海が魔境と恐れられる所以である。

一回目のロケハンを終わり、帰京する車の中でこんな台詞を思い付いた。

阿部(堤下)「でも、俺たち、どうして樹海にはまったんだろう・・・」

竹内(板倉)「出口を見つけたいからさ・・・」

阿部「・・・・・・」

竹内「人生なんて、樹海のど真ん中にいるようなものじゃないか・・・どっちの方向に入ったらいいか判らず、ウロウロしている」

阿部「・・・・・・」

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次回は、いよいよ、クランクイン。

#15 脚本作業 樹海体験②

2013年5月24日

樹海」は、住所表示で云えば「青木ケ原」、山梨県側に広がる原生林である。

広さは山手線の内側に匹敵する。 この不思議な森の誕生は、約1200年前の大噴火に遡る。富士山北西から流れ出た溶岩は、全ての生命を焼きつくしながら湖へと向かい、現在の西湖・精進湖・本栖湖まで達した。この冷えた溶岩台地が樹海の最初の姿だった。 数千年の時を経て、死の溶岩台地にやがてコケ類などの小さな命が宿り始める。

樹海内は一面苔類に覆い尽くされている。

樹海内は一面苔類に覆い尽くされている。

樹海に入ってまず私の目を奪ったのは、その木の根である。 まるで紐クジのように、どの根がどの木か判らないほど、ヘビのように複雑に絡み合っている。なぜなら、樹海内の表土は今でも数十センチしかなく、木は地層深く根を張ることが出来ない。 大きな木は巨大な溶岩石を抱きかかえ、それを支柱に横へ横へと根を伸ばしている。小さな木は巨木の根や幹に幾重にも絡みつき、必死に体を支えている。そして、力つきた木の幹には、新しい芽が生え始めている・・。

大きな木の下は溶岩石。この岩を抱え込むように立つ木々。

大きな木の下は溶岩石。この岩を抱え込むように立つ木々。

樹海」は、死の大地から奇跡的に命が蘇り、今でも、日々激しい生存競争が繰り返えされる「命の森」だった。

この生と死のパラドックスは『樹海のふたり』の底流として、脚本に色濃く滲み出して 行こうと考えた。

しかし、この映画を通して「命の大切さを訴えたり、自殺はいけません」など、教条的なおしつけがましい事は表現としては避けなければならない。そこで、自閉症児・光一が描く「絵画」をファクトにして伝える手法に絞り込んだ。ここら辺の事はあまり書くとネタばれになるので、スクリーンで観て下さい。

#14 脚本作業 樹海体験①

2013年5月22日

生涯48本の監督作品を残した新藤兼人監督は、230本を超える脚本を書いた名脚本家でもあった。「脚本家たるもの一年に一本はオリジナルシナリオを書かないとダメです」と、常々後進に言っていたそうである。天才であっても<オリジナル脚本>を書くのは至難の業なのだろう。「ドラマも人生も発端・葛藤・終結の3段階で構成される」がシナリオ作法と語っている。

また、生涯261本という驚異的な数の劇場映画の監督・製作をしたマキノ雅弘監督は、自伝『映画渡世・天の巻』で「ホン(脚本)と役者さえよければ、誰でも名監督になれる」と記述している。つまり演出家の能力が多少劣っていても、名脚本と名役者が揃えばそこそこの映画は完成する。言葉を返せば脚本がつまらなければどんな優れた演出家も駄作を作る事になるということだ。

今回から脚本作業について記述していく。

通常は着想を得たあと、シナリオハンティングで様々な情報を入手し、そして、シノプシスやハコ書きを作成する、というのが流れである。そして構成を吟味しようやくシナリオを書き始めるものだが、今回は、聞いた話だけで、第一稿を書き上げた。

「事実」はとても重く興味深いものであるが、時としてつまらないものものもある。今回はまず想像力だけで第一稿を書きあげ、その上でシナリオハンティングし推敲して行こう、と決めていた。

2011年、富士山麓の雪解けを待って、初めて「樹海」に足を踏み入れた。同行してくれたのは、今回の映画の発端を提供してくれたフリーディレクターのSさんと、助監督の岡村 拓。3泊4日の行程で、樹海とその周辺を徹底的に歩き廻った。

「樹海」への道順は車だと「中央高速」で河口湖インターで降り、139号線で本栖湖方面へ20分ほど走ると「富岳風穴」というバス停が見えてくる。大型の駐車場が完備され、おみやげ屋や売店がある。ここが「樹海」への入り口。近くに夏でも溶けないという氷柱が立つ名物の風穴がある。観光客はこの風穴の中に入ったあと、樹海の中の遊歩道を歩き森林浴をする。一見どこにでもある観光地である。しかし、一歩奥へ足を進めると、自殺防止の立て看板が眼に入ってくる。中には「勝手に死ねよ!バカ」などの落書きや、その横にはサラ金の相談窓口の看板なんかもあり、異様な雰囲気を醸し出し始める。

 

樹海入口付近にある自殺防止を訴える看板

樹海入口付近にある自殺防止を訴える看板

まず、S氏たちは、どのようにして「自殺志願者」を見つけ出していったのか?

S氏によると「樹海」に来る自殺志願者のほとんどはバスに乗ってやって来る、という。「富岳風穴」に来るバスは新富士方面と、河口湖方面から1日かなりのバス便がある。そしてその周辺には8~12ケ所のバス停があった。彼らは、このバス停のどこかに身を隠し、自殺志願者が来るのをひたすら待ち続けた、というのである。

 

S氏たちが使っていたバス停の地図

S氏たちが使っていたバス停の地図

・・・私もバス停にまる1日「張り込み」をして見た。じりじりとした気の遠くなるような時間・・・。夜8時の最終便まで粘ってみたが幸いにして「自殺志願者」は現れなかった。こんなことはざらで1ケ月でひとりも会わなかった事もあるという。彼らはそんな時、どんな会話をしていたのか?何を思っていたのか?自分の行為を疑問に思ったことはなかったのか?S氏に何度同じ質問をぶつけた事だろう・・。「仕事です。テレビ番組を作のが仕事ですから・・。でも、助けてくれて有難うと言った人もいました。その時は、正直良かったと思いました・・・」口数少なくS氏は呟いた。

 

自殺志願者の多くは、こうしたバス停に降り立つ、という。

自殺志願者の多くは、こうしたバス停に降り立つ、という。

翌日、初めて樹海に入った。S氏はコンビニで買って来た「荒塩」を、胸ポケットに忍ばせておくようにと懐紙に包んでくれた。こうしとけば祟りなどないと云う。命綱をし、森へ入った。湿度90%もあろうかと思える粘着質な緑の匂い、行く手を阻む倒木、溶岩石に貼りついた無数の苔、足場は悪い・・。

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100mほど奥に入って出口の方向をみると、同じ風景が続き、まるで万華鏡のような世界が広がっていた。ウーン「迷いこんだら二度と出る事が出来ない森」これはまんざら噂ではない、と思った。

「樹海」・・・木々が風に揺れると海原でうねる波のように見えるところから、「樹の海」と呼ばれるようになったらしい。畏怖の念をこめた先人の警鐘なのか・・。

さらに奥に足を進める。

樹海入口から700mほど入った所に、広い窪みが広がっていた。

樹海入口から700mほど入った所に、広い窪みが広がっていた。

S氏は勝手知ったる我が庭のように、奥へ奥へと入っていく。すると、急な坂を上り切ると巨大な溶岩石に囲まれるように窪みが広がっていた。「見て下さい」とS氏。指先に目をやると白骨化した手首のようなものが地面にあった。ここは自殺ポイントのひとつで、かなりの人がここで最期を迎える場所だという。

s-0527-首吊りロープ-_MG_0055その付近にはレンタルビデオ屋のカード、傘、靴、メガネ、下着・・などが散乱していた。少なくともここで人が生きていた証があった。私は、自殺する場所はもっと樹海の奥、最深部と思い込んでいた。自殺を思い止まり脱出しようと思えば可能な距離の場所を、多くの人が<最期の場所>にしてことに驚いた。

そして、一番眼をひいたのは「樹海」の生態系であった。「死の森」はまさに「生の森」であったからだ。

 

#13 番外編 記事紹介

2013年5月16日

ブログも何とか12回まで来ました。そして、パソコン難民の私も、なんとか写真を挿入できるようになりました。

このブログを立ち上げてくれたのは、今回の映画のエグセ゜クティブプロデューサー柏井信二の二男、柏井万作さん。彼は「CINRA」ネットの編集長。CINRAは映画・音楽・イベント・文化・・・など50万人近くが閲覧しているカルチャーニュースサイト。このサイトでも近々、記事がUPされる予定。

そして、今回は番外編として「樹海のふたり」に関しての記事をふたつ紹介します。

ひとつは文化通信・・・テレビ制作会社4社の共同出資製作の試みに力点を置いた記事。

もうひとつは、3月1日「読売新聞」の文化欄の記事。今年、2月21日から開催された「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」のレポート記事で、タイトルは「ゆうばり映画祭 テレビ出身監督に存在感」。

記者は文化部の恩田 泰子さん。私のまわりには、この恩田記者の署名記事を見て「映画館に足を運ぶようになった」という人が結構多い。

女優の烏丸せつこさんも、以前より恩田さんの記事に注目されていたとのこと。「独自の視点で映画を観る人。彼女の記事は一番信頼が出来る」と語っていた。

YOMIURI ONLINE 映画ニュース

クリックすると、記事が出ます。

#12 テーマ曲「IBUKI]とカズン

2013年5月13日

今回は「樹海のふたり」エンディングテーマ曲を紹介する。

                    『IBUKI』作詞・作曲・関口知宏(編曲/うるしどひろし)

終わりのないやすらぎ

心に満たす

木漏れ日のある森

祈り続けて願っていたのは

ただそれだけ

目を閉じているのに

映るぬくもり

君のやさしさが

今見えるよ

木漏れ日はいつか

涙になり

僕は目を開いた

ひとり

光の中に目醒めたように

僕の目は開いた

ひとつ吐く君

ひとつ吐く僕

ふたり吸った朝の息吹

You’re the only one I belong to (あなたは私のすべて)

We share the joys of our lives (あなたは私の喜びそのもの)

You know I love you from all of my heart (知っているのねあなたを心の底から愛していること)

I always touch your soul (いつもあなたの心に触れているよ)

Because I know it like mine (私の心はあなたの心だから)

Father only knows why (天の神様だけが知っている)

And know why we together live (どうして私たちが一緒なのか)

Because I was born to seek you (あなたを探すために私は生まれた そして)

And you were born to seek me (私を探すためにあなたは生まれた)

And we are just a two of us on the Earth (ここは あなたと私だけの世界)

Nothing to worry about (何も畏れることはない)

And nothing to let us be apart (私たちを引き裂くものは 何もない)

We together breath the morning sun (ただ一緒に朝日の息吹を吸いこむの)

Now we… (そして・・)

光の中に目醒めたように

僕らは始めた

息・・・

一つ吐く君

一つ吐く僕

二人吸った朝の息吹

Darling

ラララララ・・・

レコーディング風景。パソコンで作曲したものを、アコースティックギターを加え、アレンジする関口知宏。

レコーディング風景。パソコンで作曲したものを、アコースティックギターを加え、アレンジする関口知宏。

 

歌をカズンにお願いした。素晴らしいハーモニーを映画館で聴いていただければ・・・。

「カズン」は本当のいとこ同士。うるしどひろしと古賀いずみ。

「カズン」は本当のいとこ同士。うるしどひろしと古賀いずみ。

#11 音楽・関口知宏の事

2013年5月10日

映画の重要な要素に「音楽」がある。

音楽を誰に依頼するのか、ずいぶん悩んだ。なにせ自主制作の低予算の映画である。 その時ふと、関口知宏が作曲したメロディが浮かんだ。以前、本人から頂いた「新生というタイトルの関口知宏作曲集(自主制作CD)を慌ててひっぱり出し聴いてみるとimageが大きく膨らんだ。(結局、この「新生」から2曲を挿入曲として使用する事になる)

関口知宏とは、2004年、私が企画しNHKと共同制作した大型番組「列島縦断 鉄道12000㎞ 最長片道切符の旅」の旅人として出演してもらって以来、4年間濃密にお付き合いした仲である。  彼は、この鉄道の旅の途中、パソコンを使って作曲をする才能を発揮した。 どの曲も日本的でありつつ、無国籍であり、透明感に溢れたメロディは私の心を響かせた。番組でもその音楽は大反響を呼んだ。

関口知宏・・・理論派でありながら、鋭い嗅覚を持つ感覚人間。祖父は映画俳優の佐野周二。小津安二郎・木下恵介監督などの映画に出演、田中絹代・原節子と共演するなど二枚目の大スターである。父親は関口宏。母親は「アカシアの雨がやむとき」「コーヒールンバ」など独特の歌声で魅了した歌手の西田佐知子(私は西田佐知子の大ファンで、EP盤を擦り切れるほど聴き、ブロマイドをアパート飾っていたほどであった)。

私がまだ20代の頃、蔵原惟繕監督がテレビのドキュメンタリードラマ「学徒出陣」を撮られた時、私はセカンド助監督についた。その時のレポーター兼メインキャスターが、西田佐知子と結婚したばかりの関口宏であった。ロケ現場で゛我々の西田佐知子゛を奪った関口宏に嫉妬心さえ覚えた。そして、その子息が関口知宏である。

私は、関口知宏の細胞内に眠る音楽的才能を見込み、まず台本を届けた。

数日後、「シナリオ、大変面白く読みました・・・ところで、自分はどの役ですか?」と聞いてきた。本人は俳優だから当然である。 「いえ、今回は映画音楽を担当して欲しいのです」「えーつ!?本当なのですか?」本人は目がテン状態だったが、初挑戦となる映画音楽に大変興味を示してきた。

関口知宏氏には、音楽以外に、自閉症児・光一の精神科医の役しとして出演もしていただいた。この時、作曲の佳境で寝不足気味。

関口知宏氏には、音楽以外に、自閉症児・光一の精神科医の役しとして出演もしていただいた。この時、作曲の佳境で寝不足気味。

関口氏には、テーマ曲の作詞・作曲、と挿入曲の作曲を依頼した。すると、1週間もたたずにテーマ曲「IBUKI」の歌詞がメールで送られて来た。(歌詞は次回で紹介)

素晴らしい詞だった。しばらくたって曲が完成し、本人が歌ったデモテープが送られて来た。(女性ボーカルを想定し回転数を上げソプラノの声に変換したものだった)

歌をカズン(うるしどひろし・古賀いずみ)にお願いすることにした。

カズンは「冬のファンタジー」でメガヒットを出した、いとこ同士のデュオ。このカズンには前出の「最長片道切符」の番組テ-マ曲「風の街」(作詞・作曲うるしどひろし)を作ってもらった関係があり、機会があれば一緒に仕事をしたいと考えていた。「風の街」はインデーズチャート第一位を獲得しただけあって、そのハーモニーはうっとりするほど美しい。

カズンにデモテープを送ると、是非歌ってみたいという快い返事が返ってきた。

関口氏は、パソコンを駆使し作曲をする。写真はシンセを加えアレンジをする。

関口氏は、パソコンを駆使し作曲をする。写真はシンセを加えアレンジをする。

関口氏は、伊豆の別荘に籠り挿入曲の作曲にとりかかってもらった。「曲のイメージをよく掴めない・・・」夜中、明け方に何度も電話やメールがあった。初めての映画音楽の挑戦であるから想定済みではあったが・・・。時間が押して来て、撮影済みの断片的な映像や、参考となる映画音楽を手元に届けたが、苦しんでいる様子だった。しかたなく、私がギターを弾き(ビートルズ世代なのでヘタクソだが、エレキギターを多少たしなむ)スマートフォンで録音しメールで届けた。

すると、堰を切ったように、パンチ力があるビート曲、森の再生をイメージしたシンセサイザーの曲、サスペンス曲、家族のテーマ・・などが次々と送られてきた。

関口知宏は才人だった。

 

#10 撮影監督・山崎裕の事

2013年5月7日

今回からスタッフに関する事を書いていく。

「樹海のふたり」のカメラマンは山崎裕。

山崎とは、ドキュメンタリージャパン(以下、DJと表記)時代、3本のドキュメンタリー番組と、テレビドラマ「女のサスペンス 死の郵便配達」で一緒に仕事をした間柄である。

山崎は、私より11歳年上であるが、「モンスター」と呼んだ男である。 何を以てモンスターなのか?その旺盛な食欲?無類の女好き?どこでもすぐ寝れる?・・・どの項目をとっても私には敵わない。

彼の自然治癒力に驚愕した事がある。フランス・パリでロケ中、山崎はムール貝と生牡蠣を食べ過ぎて、食中毒に罹った。夜中激しい嘔吐と下痢に襲われ苦しんでいたため、翌日を撮影休止とした。が、翌朝ケロリとした顔で彼は起きて来た。私だったら間違いなく入院騒ぎとなる。その驚くべき蘇生力を以て「モンスター」の称号を与えた。

 

山崎裕は1940年生まれの73歳だが、肉体年齢は40歳台。

山崎裕は1940年生まれの73歳だが、肉体年齢は40歳台。

最初に山崎と組んだのは、「ネイチャーリングスペシャル サハラ幻想行」(1987年5月放送・テレビ朝日)だった。

 女優の桃井かおりが、サハラ砂漠を40日間かけて縦断するという大型番組だった。ロケの大半が砂漠でのキャンプ生活という過酷なもので途中倒れたスタッフもいた。桃井さんは世間で云われている「わがまま女優」(失礼)の片鱗はなく、実に甲斐がいしく、キャンプの飯炊きや皿洗いなど率先してやってくれた。山崎のカメラは、桃井かおりの素顔を撮ろうと必死に迫った。

私は初めて組むカメラマンの腕がどんなレベルにあるか、撮影中の「立ち姿」で決める。うまいカメラマンが適切なアングル、ポジションに入った時、惚れ惚れするほど美しい形となる。料理の板前も、左官も、ゴルファーもそうだ。

上手い人はその形にエロティクサさえ滲みだす。山崎の立ち姿は、砂漠に映え美しかった。山崎は、耽美的な映像も撮れるし、匂いたつようなリアリティも撮れるという両刀使いのカメラマン。「光と影」を熟知しているし、手持ちの映像は天才的である。

私と山崎の、DJでの最後の仕事は「岡田嘉子の今 サハリン国境線をゆく」だった(1990年 日本テレビ プロデューサー/橋本佳子 出演/斎藤 憐)。昭和の始め、恋人とサハリン国境を越えソビエトに亡命した、映画女優の奔放な恋愛遍歴と、苛烈な半生を描くもの。零下20度のサハリンで再現シーンを撮影、モスクワで岡田嘉子のロングインタビューを試みた。

この番組完成させたのち、私はDJと袂を分かち制作会社「えふぶんの壱」を設立。山崎とはしばらく離れる事となった。

 山崎はその後、ドキュメンタリーに留まらず、劇映画にも活躍の場を広げていった。是枝裕和監督とのコンビで「ワンダフルライフ」(1999年)「DISTANCE」(2001年)「誰も知らない」(2004年)など、ドキュメンタリーとドラマの境界線がどこか判らないような、独特の映像を世に送り出して来た。また「カナリア」(2004年 塩田明彦監督)「俺たちに明日はないッス」(2008年 タナダユキ監督)など若手監督とも精力的に仕事をしていった。

 

森の中に大型クレーンを持ち込み撮影。設置と動きのテストに半日かかった。

森の中に大型クレーンを持ち込み撮影。設置と動きのテストに半日かかった。

私とのコンビは、22年ぶりであるが「樹海のふたり」のカメラを山崎裕に託した。撮影助手は松浦祥子と松村敏行が務めた。 標高1200メートルを超える森の中での撮影は、刻々と変わる天気との闘いで困難を極めたが、山崎は相変わらずモンスターだった。

クレーンに乗った山崎は、遊園地でジェットコースターに乗った時のように楽しそうだった。

クレーンに乗った山崎は、遊園地でジェットコースターに乗った時のように楽しそうだった。

 次回は、映画音楽に初挑戦した関口知宏との事です。

 

 

 

 

 

#9 配役③ 怪優・きたろう

2013年5月2日

本読み」をクランクイン2週間前の5月7日に行った。

本読みとは、プロデューサーを筆頭に、メインスタッフと台詞のある役者が一同に会し、台本に沿ってファーストシーンから、ラストまで台本を声に出して読んでいく作業。スタッフとの顔合わせを含んでいるので、重要な1日である。

 

本読みの風景。キャストは自分の出番がくると席に加わりセリフを読む。

本読みの風景。キャストは自分の出番がくると席に加わりセリフを読む。

ト書きをチーフ助監督が読み上げ、セリフは俳優が言う。今回はオールロケセットの為、その現場写真をスライドショーで見せ進行してゆく。また、持ち道具(身につけるもの)や衣装の確認なとども同時に行っていく。これによって全員が共通認識を持ち、また、質疑応答の場となる。

このセリフはこうした方がいいのでは・・・このシーンはどう解釈したらいいか・・・俳優諸氏からも鋭い質問が出る。
これはどんな動きをするのか・・・カメラマンも確認して来る。すると、台本とロケ現場が一致しないといった様々な懸案が持ち上がる。
プロデューサー3名、演出部4名、撮影部3名、照明部1名、録音部2名、美術部4名、ヘアメイク・衣装2名、制作部6名の合計25名が固定スタッフ。撮影現場はドライバーや応援スタッフが加わるので30名を超える。

まだ、決まっていないロケ場所、許可が下りていない場所、シナリオ修正・・・などを、クランクインまでの2週間の間に各パートに分かれ解決しなければならない。

 

本読みをする堤下・板倉氏。この段階ではアドリブのセリフを禁止した。奥がきたろう。

本読みをする堤下・板倉氏。この段階ではアドリブのセリフを禁止した。奥がきたろう。

この日を境に各スタッフの顔付きが変わる

この本読みで一番凄かったのは八木さん役のきたろう氏である。八木役は長セリフが随所にあったが、きたろう氏は本読みの段階でセリフが入っており、役になりきっていた。他の役者も驚いたに違いない。

八木さんは自殺志願者で、樹海で迷ったディレクターふたりが、森の中で偶然に出会う中年男である。この男と遭遇することで、ふたりは命拾いし、また八木さんも一瞬自殺を思い留まり、樹海から出る、という設定。主役ふたりにとって「助けた、助けられた」という微妙な関係の重要な役である。八木役は切迫した中に、どこかとぼけた味を持つ役者が必要だった。

今回の映画のキャスティングの責任者である藍澤幸久プロデューサーに相談すると、藍澤氏から「きたろう」の名前があがって来た。きたろう氏と親しい間柄という事もあり、声を掛けてもらうと、きたろう氏は大変乗り気だという。

きたろう氏にお会いし、役柄の説明と減量(ダィエット)をお願いした。八木さんは、多額の借金を抱え「樹海」を死に場所と決め森に入った。所持金もなく、当然食事もしていない・・・。

樹海の中で、偶然、自殺志願者の八木さんと出会う。この事で命拾いをするふたり。

樹海の中で、偶然、自殺志願者の八木さんと出会う。この事で命拾いをするふたり。

撮影の当日がやって来た。きたろう氏を見ると、頬がげっそりしていた。藍澤プロデューサーの証言によると、昨夜は近くの宿に宿泊したが、旅館の夕食、ロケ当日の朝食も抜いたという。

「腹へったなぁ・・・」撮影中何度も呟いていた。私が感謝の意を述べると「オレは役者バカだから・・ハハハハ」だった。

その日の撮影が終わり、追い打ちをかけるように「さらに減量をして下さい」と私。二年後に再び八木さんと主役の二人が再会する設定だが、その二年後は、四日後に撮影する予定である。「・・・聞いてないよう・・・」。

さらに減量したきたろう氏 プロです。こういう役者に囲まれて助けられた。

さらに減量したきたろう氏
プロです。こういう役者に囲まれて助けられた。

四日後、岳南鉄道のホームで、二年ぶりの再会のシーンの撮影。きたろう氏の体躯を見て、さすがプロ!とスタッフのみんなが感嘆した

きたろうは怪優だったs-0611-テントの中の八木-_MG_2445

 

 

 

 

 

#8 予告編完成

2013年5月1日

樹海のふたり」の予告編が完成、YoutubeにUPされましたので、お知らせします。今回は予告篇UPのみです。

次回は、配役③きたろう氏に関してです。

 

 

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