#3 映画化への道① 入院が引き金

2013年4月17日

興味深い実話に出会ったからと言って、すぐに映画が実現したわけではない。

『樹海のふたり』のクランクインは2012年の5月。映画の着想を得てからすでに8年が経過していた。

2004年にフリ-ディレクタ-のS氏・T氏と知り合い「樹海」の話を聞き映画化を思い立ったが、2004年は私にとつて超が付く位、多忙の始まりだった。私が企画しNHKと共同製作した大型番組「列島縦断 鉄道12000㎞ 最長片道切符の旅」を始めた年だ。

最長片道切符の旅」とは、JRだけを使い、同じ駅を二度通ることなく、より長い距離を一筆書きで行く、という究極の鉄道旅行である。北海道稚内駅を出発点に九州・佐賀県の肥前山口駅のゴールを目指す45日間の旅。出演者は関口宏氏の長男・関口知宏氏。

生中継を入れての番組は、その臨場感とともに、関口知宏の自然体の触れ合いが人気を博し、ヒット番組となった。翌年、続編とも云える「関口知宏 鉄道乗りつくしの旅」を制作。JRの路線2万㎞をすべて乗りつくした。この2匹目のドジョウもヒットし、鉄道シリーズは、ヨーロッパ6ケ国そして中国まで発展し、2007年まで続く事となった。

中国鉄道大紀行36000㎞のゴール地点「西安」で、関口知宏と4年間続いた旅の喜びを分かち合う。

中国鉄道大紀行36000㎞のゴール地点「西安」で、関口知宏と4年間続いた旅の喜びを分かち合う。

そして、これを主軸に10年がかりで進めていた、モンゴルを舞台にした「10年後のマンホールチルドレン」(NHKBS 08年3月放送)の取材が大詰めを迎えていた。のちにこれは再編集しドキュメンタリー映画として完成させた。

並行して、ジョンレノンとオノ・ヨーコさんの愛の結晶とも云える、イマジンピースタワーの誕生秘話と、その半生を描く「ジョンとヨーコの祈り~イマジンピ-スタワ-~」の(NHKBS・08年5月放送)を抱え、撮影・編集でのたうちまわっていた。事情があってディレクタ-が途中降板した為、私がプロデュ-サ-兼ディレクタ-をやる事になり、完全徹夜状態の編集が続いた。完成したテープを持ちN・Yのオノ・ヨーコさんの家で完成試写をした。

ジョンとヨ-コの愛の巣、タゴダハウスで完成試写をし、記念撮影。

ジョンとヨ-コの愛の巣、タゴダハウスで完成試写をし、記念撮影。

ヨ-コさんは、番組の事を大変気に入ってくれ、鰻や寿司を御馳走してくれた。試写後、ホテルに帰ると、今まで体験した事がない程の激痛が背中に走った。

2009年、長年の不摂生と過労のツケがたまり入院する事になった。私の体の細胞諸君が「ここで一休みしなさい」と指令を送ったに違いない。この手術を伴う入院は、自分と向き合うまたとない<思索>の時間となった。「このまま人生を終わっていいのか・・まだ、やり残した事がある。映画を創らねば・・・」

※この後、手術後の写真を掲載するので、気持ち悪い方はスクロ-ルして下さい。私は一応ドキュメンタリストの端くれなので、記録するという本能で写真を撮ったのだと思う。

看護婦さんに撮ってもらった手術3日後の写真。 この写真を見た弊社女子社員は、拳銃で撃たれたヤクザのようだ、と評した(苦笑)

看護婦さんに撮ってもらった手術3日後の写真。
この写真を見た弊社女子社員は、拳銃で撃たれたヤクザのようだ、と評した(苦笑)

映画監督を志したのは17歳の時。九州の片田舎の青年だった。大学卒業後、黒木和雄監督に師事し、竜馬暗殺」(1974年 ATG映画)の現場を体験した。そして自ら脚本を書き監督するチャンスを得たが実現せず、テレビの世界へと移行していった。

新宿西口の高層ビルが見える寒々とした病室で、数本ある構想中の映画企画を再考した。この入院体験がなければ、映画は作れなかった、と思っている・・・不思議なものだ。

 

 

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